幸せのためにお金持ちになりたい人がお金持ちになっても幸福度は上がらない


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お金がほしくて努力してお金を得ても達成感がない、もしくは、確かにあったはずの達成感を感じなくなるのなら、それは「望んでいることが達成感ではなく優越感だった」という話。

つまり、この人は、お金を得る前提が「誰かに勝つこと」であり、その結論として、「達成感とは優越感である」というのが自分の観念(思い込みというビリーフ)になっていたため、幸福感が下がり続けたのです。



観念と言うのは、自分の魂が入っている思考のことで、自分のソウルそのものですから、達成感をどう捉えるか?というマインドは個人によって違います。

仮に達成感を優越感だと思い込んでいる人が、毎月100万円ほしいとします。 優越感とは、優れている自分を誰かに「ドヤ顔」する手段が100万を得ることですから、「100万円で達成感は得られる」という倫理観(※)を持っているということになります。(※人として守るべき個人の考え方でライフスタイルに態度として現れる価値観)


この論理は、努力する点においては正論ですよ。


ですが、ここで「それは本当に自分を幸せにする正論なのか?」という点に疑問を投げるのが、批判的思考の「演繹法」です。


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A)大前提:100万円を手にする(手段・ウォンツ) B)結論:達成感を得る(目的・ニーズ) C)経験:達成感がない(結果)

この「AならばB、BならばC、よってAならばCである」という(演繹法のひとつ)三段論法にはめてみると、こうなります。



100万を手にすることが達成感を得ることならば、達成感を得ることは、達成感がないということである。よって、100万を手にすることは、達成感がないということである。


となります。

つまり、「達成感(お金)を得る前提は、達成感がないことをすることである」ということがわかります。



この論理がこの人にとって正しいというのは、わかるでしょうか? 後述で詳細に言いますが、この人が欲しいものは優越感ですから、達成感がないことをするのは正論ですよね。



「達成感を得る目的(ニーズ)が、優越感を得るための手段になってしまっていた」ということです。つまり、優越感を得る目的で、100万円を手にする努力を手段にしていたということです。 では、達成感を得る本来の目的(ニーズ)とは、この人にとって何だったのでしょうか?

なぜ、達成感を求めていたのか?ということです。 それを考えながら、以下、解説を続けます。




ニーズを知るために必要な人間の普遍的な欲求

「演繹法」は、まず、大前提を疑うことで大前提を変えると、結論も当然変わってきますが、疑うポイントとして、「得たものが達成感でないなら、自分は100万円のために努力して一体何を得たのか?」を考えます。


つまり、想像や憶測、推論ではなく事実を洗い出すということです。



それが、C)経験(事象)になるものであり、そこから自らの思考で「優越感」だと気づく力が必要です。


何が欲しいのか?の前に、



何を得たのか?です。


この事例の場合、「ほしいものは優越感だった」ということに気づくために必要なもののひとつが、「人間が求める普遍的な欲求」を腑に落すことです。

この欲求は、どれだけ時代が変わっても、世界がどれだけ進化しようとも、太古の昔から変わりません。

携帯電話がほしいのは、つながっていたいからですよね? ということは、帰属欲求です。 ロボットがほしいのは、時間やコストを節約したいからですよね? ということは、お金の欲求です。

そう考えれば、市場なんて大昔から決まっているんです。

市場とは、人間の「欲求」そのものです。

人間の欲求が変わらない以上、人間という構造が変わらない以上、段階的に、時代によって満たされている部分が異なるだけであって、本質的には、人間が欲しいものは、大昔から変わりません。

なので、市場データやモノに惑わされず、なぜそれが欲しいのか?


人間の欲しいもの、欲求を考える事が大事です。



欲しいのは優越感だったと腑に落せたら、やっていることは間違いではないけど、「ほしいものが間違っていた」ということに気付くことができるということです。



これがすなわち、

正しい事を間違った動機でやる。


という現象(事象)で、別の言い方をすると、目的が手段にすり替わっている現象が自分の中で起きているのです。



ここで誤解がないように補足すると、演繹法だけで最適解は導き出せないので、帰納法他、多角的に分析することはもちろん必要であるとして解説を続けます。



欠乏欲求が動機で始めることは失敗する



たとえば、自分の月収が100万になったとして、それを知った周囲から「すごいー!」と言われて噂になったとします。


ですが、そもそも「噂」というものは一過性であり、すぐに消えてしまう話題に過ぎない、というのが本質なので、「得たものは達成感ではなく優越感」だという根拠になるのです。


〇さんって、月100万も稼げるようになったんだって! えー?!すごねー!


うん!羨ましいよね!

あ、着いたよ、ココ、ココ!


何食べる?


そうね、何にしよか?(ルンルン♪) と言った具合です。



優越感から得たものは、噂や話題にはなっても、他者から見れば他人事というのが「優越感」を求めて行動した結果だということ。


さて、ここに何が足らないのでしょうか? インスパイアさせるドラマがないんですよ。


つまり、影響を与えていないということです。

例えば、楽しそうに写っている写真を見せられて、「すごいね!」と言った相手が感動しても動かないなら、あと何が足りないと思います?

結局、それがないから、お金を持っている自分を見せて羨ましがられても、話題になったとしてもインスパイアされないのです。



原因は、自分を主張(アピール)しているのではなく、持っている事を主張しているからです。



見返したい、すごい人に見られたい、自分もあの人みたいに・・・。


と言った欲求は、低次元な承認欲求と言われるものです。



これがモチベーションだと、いざ本格的に何かを始めると難しくて興味が持てなくなったり、中途半端で終わったり、相手の立場で考えられなかったりして、うまくいかないケースがほとんどです。

本来、ビジネスにしても何にしてもうまくいく人は、「自分の創造性において課題を自由に見つけて解決したい」と言う自己実現欲求で行動する人です。



つまり、この人の場合、表現するべきもの、

ブランディングを間違えているということです。


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優越感は幸せアピールで得られても、幸せアピールで達成感は得られません。

達成感は、成否ではなく、やり遂げることが前提にある充実感へと続いていく感情だからです。

やるだけのことはやったという満足が達成感だからです。



仮に、一番じゃなくて3番だったから悔しいと思ったとします。


その悔しさのほとんどが「あの時もっとこうしておけば」という後悔からくる感情なので、悔しさという感情は、出来たはずのことが出来なかった事を自分にフィードバックしているわけです。



つまり、達成感は対象に勝つためではないのです。


自分のあの時に勝ちたいから悔しいのです。


以上のことを前提に本題に戻ります。




年収700万以内で優越感から卒業するとき、幸福感は下がる



大前提:100万円を手にする(手段) 結論:優越感(目的) 経験(事実):一人勝ち(結果)


100万を手にしても達成感がない人が求めていたのは「優越感」が多いということがわかりました。


自分の努力の結果、月収100万になったとして、自分の周囲が30万だとしたら(仮説)、一人勝ちになります。

この「一人勝ち」に達成感がない人、達成感が持続しない人、つまり、得ても得ても達成感がなくなる人は、ある年収を超えた層に集中していました。



それが、

年収700万円の壁

といわれます。


これは十分な研究データーを根拠に、エコノミストの飯田氏が発表されています。

世帯年収で700万円くらいまでは、ある程度「お金が重要だ」という行動をした方がよく、700万円を境に「そんなにお金ばかりじゃないよ」と考える方が幸福度は上がり、1500万円を超えると、あまりお金を追い求めない方が実は幸せを感じる、という統計があります。


この事実に、先の「100万を手にしても達成感がない」理由を重ねてみると、次の仮説に一致します。

相対所得仮説

みんながお金持ちになったら幸せにはならない


優越感を達成感だと思っていれば、みんながお金持ちになったら優越と言う快楽は得られない、ということに一致します。



それが腑に落ちるのが、だいたい年収1000万以上の人に集中していました。


つまり、年収700万位までは、優越感が欲しくて当たり前なのです。


それを越えさせてくれるのが「つまらない」という感情です。


なぜなら、人には「慣れ」という当たり前があるので、優越感にも慣れるのは当然ですね。



人間は現状よりも高い目標を目指そうとしてしまう特性(目標水準仮説)があるので、向上心があることは良いと言えますが、その一方でその向上心が幸福度を下げる原因を作っているとも言えるのです。


メリットとデメリットは常にペアで切り離すことはできないですしね。



700万円の壁は、言わば「優越感との卒業」とも言えます。


つまり、出来る人がカンタンな仕事をすると「物足りなくなる」のは、「慣れる」からであり、その「慣れ」は行動すべてに共通しています。



端的に言えば、慣れることは必要でも、「慣れ」は、慣れすぎると幸福度は下がるということです。


当たり前ほど特別なものはないのに特別に思えなくなるのです。


そして、失ってはじめて特別だったことに気づくのです。


努力して掴んだ100万で得た達成感が消えてしまう人というセグメント(属性)が求めているものは、当然、100万円とは違う「何か」です。


その何かこそ、どのように稼いだか?どのように行動したか?です。

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こうして、論理的思考にある「前提」は、批判的思考(疑問=客観視)にすれば、実際行動する以前に論理的に出された正論であったとしても、自分にとっては、「自分を幸せにしない正論」だとわかります。


さらにこの時、自分の論理をもう一度批判してみます。


私は何をして達成感が欲しいのだろう?

それは、お金で達成感が得られなかったという事実から、お金ではない何かです。

その何かは人それぞれでも、達成感の前提は、優越感ではない事です。

その根拠となるのが「行動経済学の研究データー」です。


「年収を上げても幸福度は上がらない」


すなわち、達成感は得られない。

私が学んできた「行動経済学」とは、30年くらい前からあるまだ新しい学問ですが、人間の心を研究する心理学と、お金の動き方を研究する経済学が融合した学びのことを前提としています。


行動経済学ができるまでの従来の経済論は、「人間はお金を目の前にすると、合理的(冷静)に考えることができない時があり、バイアス(先入観、偏見)で行動してしまう」ことでしたが、この論理に疑問を投げたものが行動経済学でした。


大阪大学の筒井義郎氏らの研究結果では、「所得が大きいほど幸福であるが、その増加は逓減的であり、高い所得階層では飽和が観察される」というものでした。


※逓減(ていげん):自然に徐々に減っていくこと。


飽和ですから、慣れとか、鈍感になるとか、感じなくなるということですね。

年収を上げれば上げるほど幸せになれるわけではない。


ということが確認された「一見矛盾して見える事実」を、行動経済学では「幸福のパラドックス」といいます。

※パラドックス:逆説

そのパラドックスを私は、「100万を手にしても達成感がない人」の正当な論理を批判するときの根拠にしました。

復唱すると、「100万を手にしても達成感がない人」の前提にある考え方は、お金があれば幸せになれると思っているということです。



そこに加えた私の「批判的思考」の前提は、行動経済学のデーターでした。


なぜなら、私の妄想や憶測では、個人の考えをただ闇雲に否定するだけになり、100万ために努力した事実を、ともすれば言い負かすことが目的に非難しかねないからです。

月収が70万円上がって100万になったとしても、周囲の人が30万のままの場合と、70万とは言わずとも、40万50万と、責任のレベルによって上がった場合とでは、「手元に入る額は同じなのに幸福度は変わってくる」というのが同学の研究の蓄積で出された結果です。



上述した「700万円の壁」も実は個人差があり、幸福度の下降ラインが550万~660万の人もいたのですが、確実に目に見えてわかる「幸福度が下がる年収」は、1,000万円でした。

いずれにせよ、行動経済学の論理では、「年収が上げれば上げるほど幸せになれるわけではない」ということが判明しているのです。



あなたがもし、年収1,000未満であり、かつ、幸せのためにお金持ちになりたいと思っているなら、たとえお金持ちになっても、幸福度は下がりかねない、という仮説が、先に経験された人々の実証で成り立っているということです。


私がビジネスで相談を受けるトップ1も、この「お金が欲しい」ということですが、そのほとんどの人の奥にある本心は、お金では得られない何かの代わりにお金を求めているということでした。


もうお分かりだと思いますが、お金では買えない何かとは「愛」です。


しかし、年収1,000万円を超えると「お金で愛は育っていく」ということが判然とします。なぜなら、投資と回収がビジネスだからです。


愛を投資して愛を回収する、愛を「価値」に置き換えるとわかりやすいです。



借金を返せば幸せになれる、あといくらあれば幸せになれると思ってお金を求めている人で、本当にそれが必要なお金なら入ってきます。

なぜなら、その必要なことのために使う目的があるため、その目的のために努力するからです。しかし、あなたの借金を返すためや、あなたの車を買うために、誰がお金を出してくれるのでしょうか?

あなた自身の幸せのためにお金をくれる人はどんな人なのでしょう?

高級ホテルに泊まりたいからお金が欲しい人にお金をくれる人はどんな人?



どんな必然性がそこにあるの?

自分にはどんな働き方が向いているかは、自分の行動パターンが参考になるので、また章を改めて書いていきますが、働き方とは、そこでどう過ごしたいか?ということに他なりません。



この答えも人間であれば、ゴールはおおむね同じです。


どう過ごしているときに人は充実するのでしょうか?


問題が有る無しに関係なく、どこかに属している自分じゃないのかな?



やることがないから余った用紙でメモ帳を作る自分と、メモ帳がなくて困っている人がいるのではないか?と仮設して作る自分と、どちらが充実していますか?


結局、やる事は正しくても、動機が違えば結果も違うのです。



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ヤマモトマユミ

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