一番ほしい自由を自ら手にしないその人の理由から説く「批判的思考のマイナス面」


ノンフィクション

※ここでは日常で使える初級レベルでの批判的思考を記述しています。



まず、Aさんの「ほしい自由を自ら手にしない理由」の前に、批判的思考と論理的思考の明確な違いを押さえておきたいと思います。


前提と根拠に筋が通っていれば、確かに論理は正論なのですが、その正論が自分を幸せにする正論なのか?という点が、今回のノンフィクションの見るべきポイントになります。



祐子さん(仮名)は、「いつか」実現したいことがあった。


やりたいのにできない理由は次の通り。

できない前提:忙しい できない根拠:朝7時から夕方5時まで仕事、子供のお迎え、買い物、夕食、片付け、洗濯、炊事、翌日の用意、子供の学校の準備、宿題を見る、就寝時間25時、起床5時、睡眠時間4時間

この状況で、自分の自由な時間が欲しいという願望を持つ祐子さんがいました。 つまり、「AであればBである」に当てはめると、「忙しいのであれば、自由な時間はないということである」という論理を持っていました。



これは、見ての通り、正論ですね。

私は、祐子さんに「自由な時間は実現したことですか?」と聞いたら、「出来たらしたいけど、今は子供が小さいから無理ね」と言いました。

例えば、こんな時にも批判的思考が役に立ちます。つまり、現実と理想を一致させるときに必要なものが「マインドセット」です。 だから、マインドセットをしたい時は、批判的思考を行います。 問題は、現実と理想にギャップがある時に起きる原則があるので、文句や愚痴が出るときは、現実を理想まで上げるか、理想を現実まで下げるかすれば、文句も愚痴も解決するわけです。

中途半端なあらわれが、文句や愚痴になるということですね。 愚痴る人というのは、表面的には自分じゃない人についてぼやくわけですが、その愚痴は自分の耳に入ってきているので、中途半端な自分のことを愚痴っているとも言えるわけです。

ここで1つ目の「なぜ?」として、疑問に思うことは何でしょうか? そうです。



なぜ、文句や愚痴を第三者じゃなく対象に言わないのか?ということです。 端的に言えば、文句や愚痴を「要望」に変えて、「自由な時間がほしい」と、なぜ言えないのか?ということです。

自分に疑問を持つポイントは、


なぜ一人で抱え込むのか?

一人で抱え込まないことの何が問題なのか?

の両方に疑問を持つ。←ココです。


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では、2つ目の「なぜ?」です。


「自由」という理想より、「忙しい」という現実を選んび、文句や愚痴を達成することで何を実現しているのか?ということです。

それを自分の目と体で確認できるものが、「批判的思考」であり、それは、技術ではなく思考態度だと言われます。

つまり、批判的思考は文句や愚痴が消えるので、態度自体変わるということです。

批判的思考は、うまくいくマニュアルでもなければ、うまくいくやり方を覚えるテクニックでもありません。



批判的思考とは、胸に手を当てる代わりに使う「思考態度」だということです。


当然、人間としてのレベルは、ノウハウやテクニックを習うまでもなく、自然に上がっていきます。


つまり、必要なものは、愚痴ではなく要望なのです。


批判的的思考は、自分のスタンス(立場、姿勢、在り方)を適正に疑って、自分が断定した「忙しい」という論理を崩していく時に必要とすれば、「忙しいことより、自由な時間を実現すること」が可能になるということです。

二つ目の疑問まで自分の頭に投げかけると、自然に文句も愚痴も消えていきます。

これは、やった人にしか体験できないことですが、脳は空白を嫌うので(焦点化の原則)、上質な質問を上げることで、答えを探すために集中するようになるので、当然、文句も愚痴も消えていきます。

例えを挙げてみます。 当事者に文句を言えないのはなぜ? >言っても無駄だから。

それはなぜ? >分かってもらえないから。

私はさらに視点を変えて質問を続けました。 文句や愚痴を第三者に言うことでどうなった? >スッとした。 これだけの質問では正確な解決策までは導き出せないことは多いですが、仮にここで、仮説を立ててみました。

言いたいことが言えない人の代役に愚痴ることでスッとしたならば、理想を実現することより愚痴りたくなることを選んでいるのは、スッとすることが前提だからじゃない?

実際、Aさんの場合は、この3つの質問だけで解決策は出ました。



彼女の場合、自由な時間が欲しいというより、「心のモヤモヤをスッキリさせたい」ことが、本当に実現したいことだったのです。

私は、ここでさらに仮説を立てました。

仮に本当に実現したいことが、自由時間であれば、自由時間を作るために、愚痴ってスッキリしても自由時間は生まれません。 反対に、本当に実現したいことがスッキリさせたいことであれば、スッキリするために作った自由時間で、当事者に向き合うことはできます。

作った自由時間が、何かを避けるためにあるなら、モヤモヤは続く可能性が高いと思う、という解決策を出しました。

第二の解決策として出したのは、「向き合いたくないなら、愚痴ることも諦めたらいいということです。そしてそれよりも、自由時間を作って自分の好きなことをする方が自分のためになる」ということです。

当事者に届かない声は、実現不可能だからです。


文句や愚痴を聞いた人が自分の代わりに相手に文句を言ってくれるのなら、破壊というリスクに対する責任は自分でとる覚悟をしなければなりません。



当然です。自分の声ではないのですから。

批判的思考は、こうして自分に向けて疑問を持つと、本当に実現したいことに向けて意志が強くなるので、レベルは自然に上がっていきます。



向き合う怖さから逃げるために、不自由と言う苦しみを選び続けるか、一番欲しい自由を掴むために、向き合うという怖さを越えるか、本人次第です。


批判的思考のマイナス面

批判的思考(クリティカルシンキング)によって、「自分を否定された」とか、「個人を攻撃された」と感じてしまう人も事実います。

批判的思考を身に付けた人は、他人の主張に対して、ついつい別の視点で疑問を投げかけてしまいますが、批判的思考に慣れていない人にとっては「ただの否定」として受け取られかねません。

そうならないためには、批判的思考を行う適切な議論の場を設けたり、主張する本人自らが疑問を抱くように情報を提供するなどの配慮が必要です。

上司が部下を育成するためや、コーチやコンサルの方が、批判的思考を用いる場合は、事前に「批判的思考」について、どういった性質のもので、根本的解決を目的にして行うといった承認を得ておくと、リスク回避は可能性が高まりますね。

私は昔、このリスク回避をしないまま、批判的思考を使ったために、逆効果になった経験があります。

それも2回もあるのです。 この経験談は、みなさんにお会いできたとき、お話ししたいと思っていますが、愚痴る段階のおいては、否定されることは攻撃されることだと思っている場合が多いので、特に、批判的思考を取り入れる場合は、批判的思考に対する事前説明は必要だと痛感します。

私は2回の失敗から学び、彼女から理解を得ることができて今があります。


失敗は、成功するためにあるからですね。


批判的思考を使いこなすために一番必要なものをひとつ挙げるとするなら、先に申し上げた「不確実さに堪える(耐える)」ということに尽きると思います。


相手の怒りの中に、一斉解決するコトが隠されているのです。


「思慮深い」というのは、この批判的思考が出来る人でもあります。 痛みを受けてでも達成できるものは、繰り返す根源の根を断ち切ること。 だからこそ自己実現へ方向が変わり、豊かさや真実の愛が見えるのです。





ヤマモトマユミ


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